世界びっくりカーチェイス2
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2019/Text No.005



2011年3月11日、後に東日本大震災と呼ばれる事になる未曾有の
大災害が起きた。あれからもう4年。いや、たった4年と言うべきか。
当時、また震災後、当サイトに寄せられた関連画像を振り返る。
まずは東京での様子。首都高速は軒並み通行止めに。


東京では6人の方が亡くなった。この首都高出入口の画像では静かな
印象を受けるが、列車や地下鉄の運休により交通網が麻痺。多くの
「帰宅困難者」を出した。


上りも下りも、幹線も脇道にも車両が湧き出て輻輳を起こした。


警察の車両も身動きが取れない。


湾岸エリアで開催されていた見本市会場外の様子。地震により訪れた
方々が会場外へ。


皆が見つめる彼方には黒煙が。


千葉県側でのコンビナート火災。


LPガスのタンクが爆発炎上したという。


鉄道の運転を取りやめる手書きの告知。これが首都圏で一斉に発生。
多くの帰宅困難者によるパニックを招いた。


東京へ電力を供給する福島原発がメルトダウン。首都圏商業施設を
始め、電力インフラへの打撃も大きかった。この後、エリアごとに
順に停電を行う「輪番停電」が実施される事になる。


渋谷東急も臨時閉店。


所変わってこちらは北海道は小樽港。ここから秋田へ向けて救助、
復旧のために大部隊がフェリー「しらかば」で移動を開始。震災から
翌日の12日の事だ。


機動隊レスキューチーム。現地での状況情報は時を追う毎に過酷な物に。
だから一刻も早く橋頭堡の秋田へ、そして被災地へ向かう。


船内はなんとも言えない雰囲気だったんだろうなと思う。だが気持ちは
皆同じ。救助と復旧だ。


道警機動隊レスキュー。


陸自隊員。


同フェリー車両収納部。高速隊所属のサインカー。


こちらも同隊の事故処理車両。


札幌交機所属の180系クラウンレーダーパンダ。とにかく出せる機体を
出せ。そういう事だ。


秋田港。


地元パトカーもスタンバイ。


R34スカイライン交取覆面。この時ばかりは交取とは言っていられない。
平時では無いのだ。


所変わってこちらは苫小牧。津波が押し寄せる直前特有の状態が
コレだ。海面が一度沈下する。普段は見えない岸壁の深い所が露出。


その後、海面が「壁」となり押し寄せる。陸地だった所が瞬く間に
海へと変わる。


車体の半分近くにまで海水が。


浸水の様子を心配そうに見守る人の姿も。


上空にはヘリが飛び、地上では機動隊遊撃車両が警戒に出る。

次回更新も東日本大震災関連の画像で当時を振り返ります。






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